高知新聞社会福祉事業団 軽費老人ホームA型 軽費老人ホームA型 あかねの里

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掲載日:2016年12月1日

若い職員に学ぶ


 今日から師走12月、1年が経つのは早いものです。夜来の雨がやんだのを確かめて早朝のジョギング、暗やみの中、水たまりを避けながらの足運びです。途中、20分ほどの神社に立ち寄りました。参道は6分、7分落ちたイチョウの葉で埋め尽くされていました。思わず「黄金色のじゅうたん」との言葉を浮かべ、すぐその思いをとめました。いかにも月並みな表現で、このところ自分の言葉にも長年のさびが付いていることを感じているからです。他にも、赤ちゃんの小さく、ぱっと開いた手なら「もみじのような手」、女性の透けるような手は「白魚(しらうお)のような手」、これから深まりゆく冬に「誰もがコートの襟を立てて…」なども直ぐ思い浮かべるたぐいです。もみじは多くの人が分かるでしょうが、日本全国どこでも漁獲できなくなっている白魚は分かる人が少なく、また、今はコートを着るほど長い距離を歩くことも少なく、コートの襟を立てて歩く人はほとんどいません。コートの襟を立てて似合うのは石原裕次郎さんくらいでしょう。

 一面の落ち葉について若い人に聞くと「色にこだわらなくても。僕はふかふかのプールだ」と言い切りました。小さいころ、ひざが隠れるくらいの落ち葉の中を走ったり、寝転んだり、潜ったりしたことがあり、そんな体験から生まれた言葉です。ものすごく新鮮な感じがし、若い人の持つ感受性に勝てないと脱帽します。

 一方、先だってのホームの誕生会行事でベテラン職員が「今日は雲ひとつない青空」と最初の挨拶で話していました。その日は秋晴れの一日でしたが、高い空には秋特有のうろこ雲が浮いていました。誰もが知っている常套句を用いれば、くどくど話さなくても一言で説明がつきます。また、簡潔、的確、それでいてしゃれた表現になり、聞いていても心地良いものです。

 しかし、施設では許されない「誤謬」になることもあります。そんな例に挙げられるのが職員の「看護・介護日記」です。「誤謬」はベテラン職員が陥りやすく、私は「精神的コピペ」として戒めています。決まりきった年中行事などの記述で前年と似た同じような表現になることです。例えば、正月飾りを作る利用者参加の行事では「○さんが皆と談笑しながら、鏡もちにダイダイやゆずり葉を願いを込めて飾っていた」との表現があります。「皆と談笑しながら」「願いを込めて飾る」との記述がいつもの介護日誌にある常套句です。しかし、昨年の記録をコピペしたものではなく、ベテランゆえに慣れ親しんだ言葉をついつい書いてしまったようです。日誌を読む他の職員は「まぁ良かったね」とサラリと読み過ごしてしまうのではないでしょうか。実情は、○さんは体調が少しすぐれなかったのですが、友達に誘われ気分転換に参加したのでした。大過なく終えましたが、丁寧に観察していると「皆と語り合いながらもしんどそうだった」「やや元気がなかった」などとの表現になっていたかもしれません。そして、そこに慣れのベテランの落とし穴があるようです。

 慣れの怖さを克服するには? 若い職員に学ぶことも一つです。若い職員は仕事にまだ慣れておらず、仕事は遅く、失敗も多いのです。しかし、慣れていないだけに、どんなことにも新鮮な目で対処し、どん欲であり、真剣です。

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